@概要とストーリー//A描かれている人物//B細かく描かれたストーリーと謎、雑に扱われた過去

 最後の晩餐では、「この中に裏切り者が居る…」と、イエスの投げかけた言葉に対して、12人の使徒の間に生じた緊迫した状況が生き生きと大迫力で描かれています。

 この絵は、細かい所を見る事で、よりその世界に入り込み、面白くなります。様々な説がありますが、有力なものを解説します。


■細かく描かれたストーリー■

【@ペテロのナイフ】


 十二使徒の統率者で使徒の中でもキリストと親しく、最も近くにいたペテロ

 彼は、勢い良く立上り、ナイフを握る右手を腰に、指先はイエスに向かい、「裏切り者は殺してやりましょう」と言わんばかりに描かれています。







【Aのけぞるユダと右手の袋】


 イエスを支配層に引き渡すという裏切りを行ったユダ

 イエスの発した言葉により、裏切った事がバレている事に気づきました。それに驚き、明らかに他の使徒達とは違ったリアクションをしています。

 他の使徒は、驚きや、怒りの表情、しぐさをしているのに対し、彼は硬直し「何故バレているのだ…」という表情をしているのが感じられるでしょうか?

 そして右手に握り締めている袋…
 そうです。これはイエスの身を売り、受け取った銀貨30枚が入っています。




■数々の謎■

【女性の使途?】

 イエスの左側にいる弟子。

 通説では、最も愛した弟子である聖ヨハネに当てはめている。しかし『ヨハネ福音書』にしたがえば、弟子が全員男性であったとは書いておらず、出席者のリストも無い。最後の晩餐に同席した者が全員男性であったとは言えないのです。

 ヨハネによれば、この席はユダヤ教にもとづく儀式ではなく、大事な弟子たちとの最後の食事の場である。男女や貴賤に区別なく接していたイエスの弟子に女性が居なかったとも思えない。

 ダヴィンチ・コードで語られたように「マグダラのマリア*」である可能性も残されている。

*キリストの妻であり、キリストの子を身篭っているとされる人物。この人物が実在すれば、「ダヴィンチ・コード」で描かれたように、キリストに子孫が居る事になる。
 悪霊に憑かれた病をイエスによって癒され、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けた後に、復活したイエスに最初に立ち会った一人。

【BCテーブルに並ぶ食事】


 最後の晩餐は、共観福音書*によると15日で「過越の食事」というユダヤ教の儀式に即したものとなっている。
 しきたりによればこの日、子羊の肉を食べる事になっている。したがって最後の晩餐が絵画に描かれるときの食卓の上にはパンとワイン、羊を置くのが通例であった。また、このときのパンは酵母を入れないので、煎餅のような形をしているはずです。

 ところが、ダ・ヴィンチのものでは、羊ではなく魚が。さらに、パンはイーストの入っていないパンのはずが、膨らんでいるようである。

 これは、ヨハネによる福音書だと最後の晩餐は14日で、ユダヤ教の儀式「過越の食事」とは関係がなくなる。よりヨハネの福音書に即した表現がされているのかもしれないのです。

*ヨハネ、マタイ、マルコ、ルカによる四福音書(キリストの言行録)のうち、マタイ、マルコ、ルカは共通する記述が多く、同じような表現もみられるため「共観福音書」と呼ばれる。

 ヨハネ福音のみは同じ出来事を描写するときにも、他の三つとは異なった視点やスタイルをとることが多い上に、他の三つの福音書に比べて思想・神学がより深められている。イエスを神であると明言し、はっきり示すのはヨハネ福音書のみである。




■雑に扱われた過去■

【保存状態の悪さや、修復の失敗】

 この時代、フレスコ画という技法で描かれる事が主流だったのだが、レオナルドは時間的な制約を嫌い、テンペラ画の技法で描いた。
 これが温度や湿度の変化に弱く、壁画には向いていなかったため、侵食が進んでいった。
しかし、この絵が辿る結末は更に悲惨なものだった…

●描かれた当時からこの部屋は食堂として使用されており、湿気、湯気などが始めにこの絵を浸食する原因となった。
●17世紀には、絵の下中央部分に食堂と台所の間を出入りするための扉が設けられ、その部分は完全に失われてしまった。
●ナポレオンの時代には、食堂ではなく馬小屋として使用されており、動物の呼気、排泄物によるガスなどで浸食がさらに進んだ。この間、ミラノは2度大洪水に見舞われており、壁画全体が水浸しとなった。
●大規模な修繕は、19世紀までに5回記録されている。修復は修復者のレベルにばらつきがあり、あまり良い結果を生んでいない。
●画面の剥落を防ごうとして、ニカワ、樹脂、ワニスなどを塗布したが、これらを塗ったことによって埃が絵に吸い寄せられ、絵は黒ずみ、カビが発生し、レオナルドのオリジナルの表現はわからなくなっていった。
●18世紀の修復では大規模な補筆が行われ、レオナルドの表現意図がいかなるものであったかが次第にわからなくなっていった。
●19世紀の修復家は壁画自体を壁からはがそうとして失敗し、壁面に大きな亀裂が走った。
●1943年、アメリカ軍がミラノを空爆し、その後3年間屋根の無い状態であり、風雨にさらされないよう、土嚢を積まれてはいたが、この期間にも激しく損傷を受けている。


 制作当時に奇跡の絵画と呼ばれたが、以上のような経緯から、現在では存在自体が奇跡だと言われている。

ちゃんとしてほしいですね・・・

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