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Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ)


本名:Leonardo di ser Piero da Vinci

1452年4月15日〜1519年5月2日(享年68才)

イタリア、トスカーナ、アンキアーノ村生まれ

イタリアのルネサンス期を代表する芸術家で、万能の天才という異名で知られる。





■名前の由来と、幼少期■

【ヴィンチ村のレオナルド】
 彼の名前は「Leonardo da Vinci」。「da」は英語の「from」と同じで、「ヴィンチ村出身の」となる。という事で、「ヴィンチ村出身のレオナルドさん」という意味です。

【父と母とヴィンチ家】
 レオナルドは1452年、イタリアのアンキアーノ村で、父「セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ」と、母「カテリーナ」の間に生まれた。そして、5歳からすぐ隣のヴィンチ村に移り住んだ。
 なお、生家は当時有力な家系で、現存している。

【乏しかった教育と自然環境】
 幼少期のレオナルドは、原因は不明だが正当な教育を受けず、自然とともに暮らしていた。自由奔放な性格だったと言われる叔父からの影響とされている。この頃、「水」に対し、人並みならぬ興味を抱いていた。

  ヴィンチ村の様子


 ヴィンチ村周辺に広がる景色は自然が溢れ、トスカーナ特有の整然と並んだブドウ棚とオリーブ畑が美しく、何百年も変わらない風景を見せてくれる。

■芸術家としての始まり■

【工房への弟子入り】
 レオナルドは14〜16歳でフィレンツェに移ったとされる。その後、画家の見習いとして「アンドレア・デル・ヴェロッキオ」の工房に弟子入りし、ボッティチェッリらと共に学んだ。




ボッティチェッリ作「ヴィーナスの誕生」
 1485年頃







【才能の開花】
 レオナルドは、工房でヴェロッキオの絵画「キリストの洗礼」の一部を描いた。
 その出来は、師匠ヴェロッキオを驚愕させ、以後ヴェロッキオは一切筆をもたなくなったという逸話がある。レオナルドに嫉妬したという説もあるが、工房の絵画部門は彼に任せて本業である彫刻に専念した、というのが真相らしい。


【遂に独立】
 1482年〜1499年にかけて、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)に仕えながら、自分の工房を開いて独立した。
この時、イル・モーロから、巨大なスフォルツァ騎馬像の制作を依頼されたが、戦争が迫ったため騎馬像のための銅が大砲の製造に転用されてしまい、計画は頓挫した。





 名古屋国際会議場

 復元された「スフォルツァ騎馬像」
 全高8.3m、幅3.6m、全長8.8m

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