@幼少期〜芸術家としての始まり/A戦争を生きたレオナルド〜死去/B遺言と友人、現代に残したもの/Cその他エピソード


■レオナルドの遺言■

【遺言状】
 レオナルドの遺言状には・・・
@彼の葬式に60人の貧乏人に60本の松明を持たせ参列させること。
Aフランチェスコ・ダ・メルツォの裁量にて彼らに参列代として銭を与えること。
Bその松明を四つの教会に分けることを希望する。

ことなどが遺されていた。

【埋葬と遺骨の行方】
 レオナルドは、死後、アンボワーズにある聖フロランタン教会に埋葬されたが、その後、墓が暴かれてしまい、遺骨の行方は分からない。





 ←アンボワーズ城
   レオナルドの墓石

 









■レオナルドをとりまく人々■

【女性との関係】
 レオナルドは若い頃は「この世で最高の美男子」と呼ばれるほどの美貌の持ち主だったらしいが、生涯特定の女性と親しい関係になることはなく、独身だった。

【主な友人】
 レオナルドには多数の友人がいた。以下はその例である。

■ミケランジェロ・・・芸術家

■ファッジョ・カルダーノ・・・数学者、法学者

■フランチェスコ・メディチ・・・教え子の画家

■ジェラルモ・メディチ・・・ミラノ軍大佐

■ニッコロ・マキャヴェッリ ・・・作家

■ルカ・パチョーリ・・・数学者


■現代に残したもの■

【レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿】
 レオナルドの多岐に渡る研究は、13,000ページに及ぶノートに、芸術的な図と共に記録されている。

この膨大なノートは、19〜20世紀になって、科学技術の分野での先駆的な研究として注目を集めるようになった。
 レオナルドはこれを出版する計画を抱いていたようである。




 ダヴィンチの素描
 頭蓋骨のスケッチ



【鏡文字】
 彼のノートのほとんどは、左手でペンを持ち、「鏡文字」で記述されている。

 彼が鏡文字を用いたのには、諸説ある。

@左手でペンを持った時、ペンを押しながら書くよりも引きながら書くほうが楽であったため、以後鏡文字を使うことに決めたから。

A印刷しやすくするため。

B当時、科学=異端という見方があったため、教会からの批判や弾圧を避けるため読みづらくした。

C先天的に鏡文字を書く症例(病気)があり、その症状であった。

結局はわかっていないんですね・・・










 レオナルドの描いた鏡文字





日本語にすると・・・読みにくいのがわかりますね。(汗

 現在、彼のノートの殆どは国が所有しており、一部を富豪がコレクションしています。ノートを時系列で並べると、初期にはキリスト教の影響下にあった考え方が、観察と推測により徐々に事実へと近づく様子が見て取れます。

@幼少期〜芸術家としての始まり/A戦争を生きたレオナルド〜死去/B遺言と友人、現代に残したもの/Cその他エピソード

>>>BACK TO HOME<<<