@幼少期〜芸術家としての始まり/A戦争を生きたレオナルド〜死去/B遺言と友人、現代に残したもの/Cその他エピソード


■戦争を生きるレオナルド■

【ミラノを離れヴェネチア→フィレンツェに戻る】
 1499年10月、ルイ12世率いるフランス軍が侵攻(イタリア戦争)。
 ミラノ公スフォルツァ(スフォルツァ騎馬像の依頼者)は逃亡し、陥落した。

 レオナルドはミラノに留まったが、フランス軍の射手がスフォルツァ騎馬像の粘土原型を練習の的にしているのに落胆を覚え、ミラノを離れることにした。
 1500年、弟子のサライ(=小悪魔という意味)や、友人らと共にマントヴァ→ヴェネチア→フィレンツェへと戻った。

【新たな雇い主と、軍事技術者としての活躍】
 1502年8月から、レオナルドは教皇軍総指揮官チェーザレ・ボルジアの軍事顧問兼技術者として働いた。

 しかし8ヶ月程度でフィレンツェに戻り、アルノ川の水路変更計画や、ヴェッキオ宮の壁画(アンギアリの戦い)などの仕事に従事した。





 ←ヴェッキオ宮殿
  「アンギアリの戦い」(模写)

 *詳細はアートエキシビジョンでどうぞ。





【後継者メルツィとの出逢い】

 1506年、スイスの傭兵がフランス軍を追い払うと、マクシミリアン・スフォルツァが治めるミラノに戻った。そこで、後に生涯の友人となり、後継者ともなったフランチェスコ・メルツィに出会った。



 左:ルイ12世

 右:メルツィ作「女の肖像」


【フランソワ1世との出逢い】
 1515年に即位したフランス王フランソワ1世は、同年にミラノを占領した。この時、レオナルドはボローニャで行なわれたフランソワ1世とローマ教皇レオ10世の和平交渉の締結役に任命され、(恐らくは、このとき初めて)フランソワ1世に出会った。

 以後、フランソワ1世の庇護を受け、1516年からは王の居城アンボワーズ城に隣接し、フランソワ1世が幼少期を過ごしたクルーの館(クロ・リュッセ)に招かれ、年金を受けて余生を過ごした。




 フランス王
 フランソワ1世
















【レオナルドの最期】
 レオナルドは、1519年5月2日にフランスのクロ・リュッセで亡くなった。
 下の絵画ではフランソワ1世に抱かれて死去するさまが描かれている。実際にはこのような場面はなかったが、王とレオナルドの親交の深さが分かる。








 フランソワ1世に抱かれ死ぬレオナルド

 (実際にはこの場面は無かった)

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